小沢健二さんの曲「流動体について」を読み解いてみた

歌詞解釈

「流動体について」という曲は、小沢健二さんが2017年に日本に帰国して初めてリリースした曲。彼は1998年にニューヨークに移住し、以降日本での活動は19年間ありませんでした。

私は、一度聴いただけではこの曲の意味が捉えられませんでした。流動体という普段あまり使わない言葉が出てきたり、まるで小説のような文体であったりすることがその理由だと思います。

そこで、私なりにこの曲の歌詞を解釈してみようと思いました。あくまで私の解釈なので、これが正解というものではありませんが、私個人の「正解」として参考にして頂ければ幸いです。では、歌詞の先頭から順に私の解釈を示していきます。

羽田沖 街の灯が揺れる
東京に着くことが告げられると 甘美な曲が流れ
僕たちはしばし窓の外を見る

羽田沖 街の灯がゆれる
→彼(小沢さん)は外国(おそらくアメリカ)からの帰国の飛行機の中。
街の灯が揺れていることから、この時点ではまだ飛行機は空中。飛行機が羽田空港に向けて着陸している最中。

東京に着くことが告げられると甘美な曲が流れ
→着陸すると、到着した旨機内アナウンスが流れる。
甘美な曲というのは、到着した際に流れるあの音楽のこと。少なくともANAで流れる音楽は「甘美な曲」という程でもないので(あくまで個人的な感覚ですが)、何故ここで「甘美」という表現を使ったのか少し考えてしまいましたが、特別な意味はないと判断しました。

僕たちは しばし窓の外を見る
→「僕たち」とあるので、彼一人ではないことがわかります。誰かと一緒ということです。では誰と一緒なのか?
小沢さんは2009年ごろにアメリカ人の女性と結婚されています。
2013年に長男、2016年に次男が誕生されているので、帰国された2017年には妻と二人の子供がいることになります。したがって、妻と二人の子供と一緒に帰国されたのだと推察されます。

もしも 間違いに気がつくことがなかったのなら?
並行する世界の僕はどこらへんで暮らしてるのかな
広げた地下鉄の地図を隅まで見てみるけど

もしも 間違いに気がつくことができなかったのなら
→間違いとは何か?これは歌詞を読み進めないとわからないので、一旦措いておきます。
それを考える前提として、「もしも〜なら」と言っているので、実際には彼は間違いに気づいたのだということだけ認識しておきます。
そのまま読み進めてみます。

平行する世界の僕は どこらへんで暮らしているのかな
広げた地下鉄の地図を隅まで見てみるけど

→「平行する世界」とは、仮に間違いに気づくことがなかった場合の世界、という意味です。もしかしたらそうであったかもしれない世界です。
実際の世界(間違いに気づいた場合の世界)との対比になっています。

もし間違いに気づくことがなかった場合、彼は都内に住んでいたはずだということがわかります。何故なら、彼が広げて見ているのは地下鉄の地図だから。

そして、そのようなことを考えるということは、現実世界の僕は都内ではない場所、すなわち海外で暮らしていたということを暗に示しています。

現実世界の僕 と 平行する世界の僕 という二項対立は、この曲の物語を通じている世界の捉え方です。この捉え方を念頭に歌詞を読み進めていきます。

雨上がり 高速を降りる
港区の日曜の夜は静か
君の部屋の下通る
映画的 詩的に 感情が振り子振る

→場面が日本に帰ってきて以降の日常に切り替わります。日常であることがわかるのは、その後の歌詞で「平行する世界の毎日」とあるため。
「君」というのは誰でしょうか?それは妻ではなく、19年前、彼がまだ東京で暮らしていた頃の彼女のことです。
港区にある彼女の部屋、当時何度も通った部屋の下を通り、過去の記憶とともに感情が高鳴っている様子がわかります。

もしも 間違いに気がつくことがなかったのなら?
並行する世界の毎日 子どもたちも違う子たちか?
ほの甘いカルピスの味が不思議を問いかける

平行する世界、すなわち間違いにきづかなかったとしたら、自分の子供は今とは違った子供、つまり当時の彼女との子供だったのだろうということを、もしかしたらそうであったかもしれない「現実」として、想像しています。
実際の現実と、もしかしたらそうであったかもしれない「現実」との対比、巡り合わせの不思議に思いを至らせています。
カルピスというのは、NYで飲むものではないです。彼は日本を発つ前の日本で、よくカルピスを飲んでいたのではないでしょうか。もしかしたら当時の彼女はカルピスが好きだったのかもしれません。カルピスを飲んだら、東京での彼女との記憶とともに、上記の不思議がやってきたのでしょう。

だけど意思は言葉を変え言葉は都市を変えてゆく
躍動する流動体 数学的 美的に炸裂する蜃気楼
彗星のように昇り 起きている君の部屋までも届く

意思とは、彼を直接的にあるいは間接的に渡米に至らしめた彼の考えだと思われます。渡米とは、当時の彼女との別れをも意味します。
人は言語で思考する前提に立つと、話す言葉が変われば、世界の切り取り方も変わってきます。彼は、彼自身の考えが変わったことによって、喋る言葉が変わり、また英語を使うようになったので文字通り喋る言葉も変わりました。

言葉は都市を変えていく、というのは、19年後の彼によって、東京という都市が再定義されていくという意味です。

東京は、19年前の彼女との記憶のある場所です。今の彼によって、その街が新しく捉え直されていくということだと思います。

流動体、あるいは蜃気楼というのは、幻、すなわち、平行する世界のことです。こうであったかもしれない世界。東京に残り、当時の彼女と結婚して暮らしていく世界。そんな仮の世界の想像が、彼の胸に去来します。夜に。
そんな仮の世界の想像は、今、この瞬間に彼女にも去来しているはずだと彼は思っているということです。

流動体=蜃気楼=間違いに気づかなかった場合の世界=19年前の彼女と東京で家庭を築いていく世界

それが夜の芝生の上に舞い降りる時に
誓いは消えかけてはないか?深い愛を抱けているか?
ほの甘いカルピスの味が 現状を問いかける

再びカルピスが出てきました。カルピスは、前述の通り、かつての彼女と家庭を築いていく世界を想起させると同時に、現実の世界が間違いじゃないかどうか、すなわち、今の妻との結婚の誓いは確かか、深い愛を妻、子供たちに抱けているか、自問自答させる契機となる飲み物です。
彼は、夜、芝生の上に居るとき自問自答するのです。

そして意思は言葉を変え言葉は都市を変えてゆく
躍動する流動体 文学的 素敵に炸裂する蜃気楼

かつての彼女と家庭を築いていく世界は、文学的で数学的で美的で素敵に心に炸裂するまぼろし(蜃気楼=流動体)であって、「炸裂する」という表現から、とても心に刺さるものだと思われます。「素敵」と表現していることから、間違いではあるけれども、何か肯定的な感じを抱いているように思えました。

それが夜の芝生の上に舞い降りる時に
無限の海は広く深く でもそれほどの怖さはない
人気のない路地に確かな約束が見えるよ

前の歌詞「誓いは消えかけてはないか? 深い愛を抱けているか?」に対する答えがここに表れています。「人気のない路地に確かな約束が見えるよ」
確かな約束=誓いです。人気のない路地で、今の妻と結婚の誓いをしたのだろうと推察します。

神の手の中にあるのなら その時々にできることは
宇宙の中で良いことを決意するくらいだろう

無限の海は広く深く でもそれほどの怖さはない
宇宙の中で良いことを決意する時に

もしかしたらそうであったかもしれない世界のことを考えると、何通りもの無数の可能性がある世界のなかで、どの道が正しいのかどうか、不安になり、怖くなってしまいそうだけれど、彼は「それほどの怖さはない」と言っています。

しかし、彼は、本当は怖いと思ったんだと思います。
かつての彼女と結婚していたらどんな風になっていただろうと空想する中で、翻って現実を省みるとき、今が正しかったのだろうか、不安に感じたのだと思います。だからこそ、「誓いは消えかけてはないか? 深い愛を抱けているか?」と自問自答したのです。

そう自問自答したように、自分にできることは「良いこと」を決意することだけなのだと、彼は、そう自分に言い聞かせているのです。「良いこと」を決意した結果の今が正しいのだと。
そしてそれは過去だけでなく、これからの未来に向けても同じなのだと。

私なりの解釈をしてみました。
もし、こんな解釈もあるのではないかという意見があれば、共有いただければ幸いです。
よろしくお願いいたします。

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