スガシカオさんの「ぬれた靴」を読み解いてみた

歌詞解釈

私はこの曲が好きです。じめっとした雰囲気が心地よく感じます。
歌詞を順に解釈していきます。

なれないスーツとひどいドシャ降りで なんだか疲れきってしまった
式の帰り道で誰かがいい出して うすぐらい中華屋にはいった

「なれない」とあるので、彼は普段スーツを着ないのでしょう。
式というのは、知人の一周忌のことだと思われます。理由は、後ろにある「去年の今頃も」とか「ぼくはあの夏の日から どれだけきたんだろう」という歌詞から推察されます。あの夏の日に、何かがあった。それは友人の死だと思われます。ここにたまたま集った人たちは、その亡くなった友人を媒介に繋がっています。

“ねぇ 最近仕事はうまくいっているの?”
うまくいってやしないけど
ぬれた靴の中がかわいてしまうまで ぼくらはどうでもいい言葉をつないだ

女性の知人から、仕事はうまくいっているか訊かれます。
「うまくいってやしないけど」
うまくいっていないことを認めざるを得ないが、自分としてはどうしようもなく、かといってこのままで良いと思っているわけでもないことが伝わってきます。

普段スーツを着ないことから会社員をやっているわけでもないことが察せられます。何か別のやりたいことがあってフリーターをやって日々を繋いでいるといったところでしょうか。

この薄暗い中華屋は、彼自身の日常のメタファーにもなっているのだと感じます。どうでもいい話をして時間を潰している様子は、彼のだらしない日常のことをも表しているのです。

通りに面したガラス窓がくもって ぼんやりと世界を隠した
昨日の夜も去年の今頃も 似たような話をしていたかも…

去年の、葬式の日にも、同じような話をしていた。彼は自分が何も進んでいないということを感じているのだと思います。

もう あきれてしまうくらい ぼくの毎日はだらしなく過ぎ去ってしまう
ぼくはあの夏の日からどれだけきたんだろう
たいした事もできず… みんなそう思うのかなぁ
ぬれた靴の中がかわいてしまうまで ガラス窓の外で雨がやんでしまうまで

「かわいてしまう」、「雨がやんでしまう」という表現から、本当は雨は止んで欲しくない、靴の中は乾いて欲しくない、このだらしない日々の繰り返しに浸っていたいという気持ちを感じます。
雨が止んでしまったら、靴が乾いてしまったら、中華屋の外に踏み出さなければならず、それは彼にとってとても勇気のいることだからです。
しかし、このままではダメだということは彼には痛いほど分かっています。このままではダメなことはわかっているが、なかなかうまくいかず、くすぶっていて、やりきれない彼の感情が、この物語全体を、陰鬱に漂っていると感じます。

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