My brain was broken. 〜海辺のカフカの舞台を観ました

過去の日記を読み返すと、今は失われてしまった、読む人に何かを訴える力、が感じられ、自分は数年の暗い年月の間に日々少しずつ変容し続け、気づくとほとんど別人と言えるくらいにまで変わってしまったことを発見する。脳は日々恐怖により傷めつけられ、毎日の手荒れ仕事でグローブのようになってしまった手のように、硬く柔軟性を欠いてしまった。前頭葉の機能が衰え、動物に近づいたように思う。ーー咆哮する動物

 

何事にも結論が自分で出しにくくなったような気がする。村上春樹が、結論は最後まで出さない(出せない?)、という意味のことを言っていて、それを都合よく解釈して慰めにしている。「これは、悪だ」とか「これは、ずるい」とか、自分でもわからない。好きか嫌いか、いい感じがするかしないか、感じられるのはそんな程度で、そこから先に考えを及ぼすことが難しい。自分の今知っている材料だけで全てかわからないし、自信が無いから、なるべく結論を先延ばしにしてしまいがちだ。それは大人になったから、他の面における考えの可能性を予期することができるようになった、と言えるかもしれないし、ただの劣後かもしれない。直感を言えば、前者はまやかしである。

 

恐怖は、生物が生きている上で必要だからこそ存在しているのだろうけれど、恐怖を感じる自分の中のメカニズムが暴走し、それによって自身が損なわれてしまうこともあるのだということを、身をもって感じた。そのメカニズムを暴走させたものは具体的に何だったのかはわからないけれど、日々の生活のどこかに原因があったと言えるのではないかと思う。

海辺のカフカの舞台を観に行った。

原作の小説は、形式的に2つの話が交互に織りなされるもの。村上さんの小説のページを繰る感覚を表現したかった、という蜷川幸雄氏の意図が、クリアボックスを活用することによって素晴らしく立体的に形作られており、感心した。主人公のカフカ、カラスと呼ばれる少年はもちろん、ジョニーウォーカー、ナカタさん、猫、佐伯さん、大島さん、ホシノさん、さくら、登場人物の一人一人が活きいきと舞台の上で躍動していた。高校生の時に小説で読んだイメージとほぼ変わらない人物たちが、そこに生きていた。

 

他にも色々なことを感じたのだけれど、まだうまく言葉にできる気がしないので、また近いうちに感想を書きたいと思います。

素晴らしい公演をありがとうございました。

 

 

 

 

 

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